一円の生き方とは、
自分の天命と、自分以外の万物の天命の、
その両方に良き影響がある生き方のことである。
自分だけが良ければいいという生き方ではない。
自分の家族だけ良ければいいという生き方ではない。
自分の会社や組織だけ良ければいいという生き方ではない。
自国だけ良ければいいという生き方ではない。
人類だけ良ければよいという生き方ではない。
地球だけ良ければよいという生き方ではない。
自分自身が生きている残りの何十年かだけ良ければ
良いという生き方ではない。
万物の本当の幸せを願う生き方である。
現代だけでなく、未来、子々孫々の幸せを
願う生き方である。
本当の幸せとはお金持ちになることではない。
本当の幸せとは、地位・名誉・名声を得ることでもない。
本当の幸せとは、美しい異性をはべらせることでもない。
本当の幸せとは、自分の役割を全うすることである。
自分が生まれてきた意味を知り、
この人生でやるべきことを成し遂げることである。
それが、自分が生まれてくる前に
神様と約束したことである。
それが、自分自身の役割である。
つまり、本当の幸せとは、天命を知り、
天命を全うすることである。
本当の幸せとは、死を迎える時に
「いい人生だったな」と
振り返ることができることである。
「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」
あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり
これは、論語に記された孔子の言葉である。
朝、自分の生きるべき道を聞き
会得することができたならば、
もし夕方に死んでしまったとしても
心残りはないという意味である。
「一円」は二宮尊徳先生が残した「一円融合」という言葉から引用している。
一円融合とは、万物を1つの和の中にいれ、
万物が味方であり仲間である状態のことである。
人間は弱いもので、目の前の事情に
流されやすいものである。
一円の生き方をするためには、
それに相応しい相手との接し方がある。
目の前の相手の感情に左右されないこと
目の前の相手の攻撃的な言動や防衛行動に惑わされないこと
目の前の相手が、どんな痛み・苦しみを抱えて
この様な言動をするのかに目を向けること
目の前の相手の心の奥底、魂の声に耳を傾けること
自分も人間であり、相手も人間である。
目の前の相手は心の痛み・苦しみを抱えているかもしれない。
目の前の相手はやむを得ない事情を抱えているかもしれない。
相手の表面的なことだけに、目を奪われないことである。
私も生き物であり、目の前の生物も生き物である。
その生物は人間に苦しめられた過去があるのかもしれない。
その生物は人間に迫害された歴史があるのかもしれない。
我々は過去を反省し、
より良い未来を創るために
相手と向き合うべきなのだ。
五.一.天命
大事なのは天命である。
なぜならば、天命を全うすることが
人の本当の幸せだからである。
自分の天命が何であるかが大事である。
そして、相手の天命が何であるかが大事である。
目の前の小さな夢に惑わされてはいけない。
目の前のことでは相手と衝突するかもしれない。
相手の夢に賛同できないかもしれない。
だが、そうではなく、相手の天命、
神様との約束に目を向けることである。
自分の天命と相手の天命を照らし合わせれば、
必ず一致する点が見えてくる。
お互いにとって手を取り合えるところが
見つかるはずである。
五.二.万物の幸せ
この世は人間のためだけのものではない。
人間以外の万物も揃っていて、
初めて人間も生きていけるのである。
太陽、雨、土、空気、風があるから、
農作物が育つのである。
植物がいるから人は酸素が吸えるのである。
人類だけでなく、
万物も幸せに生きられるように・・・
そう願って生きることである。
我々も生かされていることを知ることである。
五.三.自分発信の影響
我々は、日々の言動を通じて、
周りに沢山の影響を与えている。
まずそれを知ることである。
そして、自分の言動が良い影響を与えているのか、
それとも悪い影響を与えているのか考えることである。
自分の言動が、目の前の人にどんな影響があるのか
最も愛する人にどんな影響があるのか
自分の愛を最も必要とする人にどんな影響があるのか
家族にどんな影響があるのか
お客様にどんな影響があるのか
地域・組織にどんな影響があるのか
自国にどんな影響があるのか
他国にどんな影響があるのか
全人類にどんな影響があるのか
人間以外の生物にどんな影響があるのか
地球にどんな影響があるのか
子孫にどんな影響があるのか
それをよく考えること。
我々の言動は、
一つ一つが与える影響はとても小さい。
しかし、それは選挙の投票と同じである。
一票一票が積み重なって、
政治家が選ばれるのである。
一票一票が積み重なって、
自治体や国の方針が決まるのである。
買い物だって投票だ。
生産者は、よく売れるものを作る。
売れないものは作らないのだ。
それが売れるから作られ、
それが売れるから、売っているのだ。
したがって、我々が欲しい物を買えば、
生産者は我々が欲しい物を作るのだ。
つまり、すべては「自己責任」である。
すべては自分が起点になっているのだ。
自分が思考し、発言し、行動するから、
それが周りに影響を及ぼすのだ。
順番を間違えてはいけない。
「社会が〇〇だから、仕方がない。
国が〇〇だから、私はこうするしかない」
という順番ではない。
自分がこう生きるから、
この世が変わっていくのだと自覚することだ。
全ては自分の思考が起点なのだ。
自分が良き生き方をするから、
世の中が良くなっていくと信じることだ。
我々の人生で一円の生き方を
最もよく表現できる方法は、
「仕事」を通してである。
なぜなら、人生で最も
「自分自身の人生」と「社会」に
影響を与える活動だからである。
また、社会と関わる活動の中で、
最も時間を費やす活動だからである。
一円の生き方をするために、
まず最初にするべきことは、
自分の仕事に一円の生き方を反映させることである。
まず自分の天命を仕事にすることである。
仕事に励むことが、
天命の全うにつながるように
働き方を設計することである。
職務を通して自分自身のお役割を果たすことだ。
一円の仕事とは、
この世を良くするために、
全人類を幸せにするために、
この星を心地良くするために、
務めることである。
目の前の人も喜び、
その家族も喜び、
その人の国も喜び、
全人類も喜び、
万物も喜び、
地球も喜び、
神様も喜ぶ仕事をする・・・
それが一円の仕事である。
一円の生き方はライフスタイルに表れる。
その人の生き様に表れる。
何を使い、何を使わないのか?
何を食べ、何を食べないのか?
それはどのように作られたのか?
その製造過程で、どこかで誰かが困っていないか?
それは何を原料に作られたのか?
その原料の調達過程で誰かが困っていないか?
これらに思いを馳せる人と馳せない人では、
自ずとライフスタイルが変わってくる。
普段の生活では、
商品の上流工程が見えにくいものだ。
どんな人が関わり、
どのように造られ、
どのように調達されたものなのか、
その商品を利用する以上は、
我々にもそれを選択した責任がある。
知らなかったでは済まされない。
質素に生きる、
慎ましく生きる
自分の把握できる範囲のモノに囲まれて生きる
これが一円のライフスタイルだ。
よく分からないものをわざわざ使う必要はない。
なぜなら、その商品の行程のどこかで
誰かが苦しんでいるかもしれない、
そんな苦しみがあるかどうかが分からないからである。
「自分の把握できる範囲のモノに囲まれて生きる」
そんな生き方をしたらなにか困るだろうか?
いや大して困ることはない。
どうせ同じ利用するなら、
近所の人、
顔の分かる人が作ったもの、
信頼できる人が調達してくれたモノを利用しよう。
それを有り難くいただく生き方・・・
与えられたモノや恵みに感謝して生きる生き方・・・
それが一円の生き方だ。
母国・土地に与えられたものを活かして生きれば良い
わざわざ外国にしかないものを輸入してくる必要はない
なぜなら母国に元々在るものが、
神様が与えてくれたものである。
豊かに生きてゆくために、
十分なモノを十分な量、
神様が与えてくださったのだから。
一円の生き方とは、
天からの恵みに感謝する生き方でもある。
私は毎日問いかける…
本当に幸せな人生にするために…
私は今日、出会ったすべての人の幸せを願って生きただろうか
私は今日、自分自身の幸せを願って生きただろうか
私は今日、家族の幸せを願って生きただろうか
私は今日、仲間の幸せを願って生きただろうか
私は今日、全国民の幸せを願って生きただろうか
私は今日、全人類の幸せを願って生きただろうか
私は今日、子々孫々の幸せを願って生きただろうか
私は今日、人類以外の万物の幸せも願って生きただろうか
私は今日、地球の幸せを願って生きただろうか
私は今日一日、天命を全うするためにどんな仕事をしただろうか
私は今日会った人の「天命を知りたい」と思って会話をしただろうか
私は今日会った人の「天命に役立つこと」をなにか1つでも提案しただろうか
私は今日会った人を通して、神様は何を成し遂げたいのか考えただろうか
私は今日会った人の「魂の叫び」に耳を傾けただろうか
私は今日、怒りや憎しみを持った人にも笑顔で接しただろうか
私は今日一日、与えられた恵みに対して、注意を怠らずにいただろうか
私は今日、与えられた恵みを活かす努力をしただろうか
今日一日の私の言動が、世の中にどんな良い影響を与えただろうか
今日一日の私の言動が、世の中にどんな悪い影響を与えただろうか